
1983年10月19日、ノルウェー生まれ。ノルウェーの映画学校を卒業後、12年の『En som deg』で長編映画デビュー。2作目の『Natt til 17』(14)は、ノルウェーのアマンダ賞にノミネートされた。15年からは続けて、TVドラマ「Mysteriet PåSommerbåten』(15)、『Heimebane』(18)、『Unge lovende』(15-18)を監督。日本のアニメに憧れる少女を描いた『HARAJUKU』は、アマンダ賞で7部門にノミネートし、録音賞、音響効果賞の2部門を受賞したほか、国内外で高い評価を受け、トーキョーノーザンライツフェスティバル2020でも上映された。自国ノルウェーの過去の罪を描いた本作は、賛否の意見があったものの、20年のクリスマスに公開すると興行成績1位を記録した。
この映画を監督するきっかけ、経緯を教えてください。
本作は、家族を引き離されたブラウデ家に焦点を当てて描かれたマルテ・ミシュレのノンフィクションの原作を基にしています。この出来事はたった数十年前に、自分の地元の街の近くで起きたにも関わらず、私はこういった出来事について無知であった事に気づかされ、当時のノルウェー人がユダヤ人に対して行った行動に対する強い想いが沸き起こりました。自分がこの作品を映像化しないのであれば、映画そのものを作り続ける意味はないのではないかと思ったほどです。
自国ノルウェーの過去のあやまちを描くにあたり、難しかった点や気をつけた点はありますか?また、ノルウェーでの反応はいかがでしたでか?
私は比較的若い世代で、上の世代の方々と比べて一連の出来事に対してより客観的に好奇心と広い視野を持ってこの題材に取り組めたと思います。この作品が取り上げた題材は自国ノルウェー内でも多くの論争があり、作中では歴史学者たちによって語られている内容やその他重要資料など、物語の真実の部分について細心の注意を払いました。その結果、本作はノルウェーの観客、批評家、歴史学者たちから好評を得ることができました。同時に、多くの人たちからはノルウェー人たちを無実な英雄として描くのではなく、ほかの視点から描く作品が増えても良い頃だろうという声が上がりました。
原作を映画化にあたり変更した点や、強調したシーンはありますか?
私は実際に起きた出来事、特に本作が基となっている内容について誠実でありたいと思いました。もちろんいくつかの場面は観客にとってわかりやすく感情移入しやすいように構成しました。本作では、大きな政治的内容や戦争映画の‘お決まり’な内容ではなく、1つの家族、そして登場人物一人ひとりの視点に近いものにしました。観客にはノルウェーで実際起こったホロコーストの被害者に共感できるようにしたかったんです。何ひとつ悪いことをしていない無実の普通の人々が自宅から引きずり出され、逮捕され、移送の果てに殺害されました。この一連の出来事に加担していたのが同じノルウェーの人たちです。制作にあたり非常に大事だったのは、リサーチで訪れたアウシュヴィッツでした。ガイドの方がノルウェー系ユダヤ人が殺害された収容所の場所に案内してくれました。彼らは移送が始まって、わずか数日後に殺害されました。
ホロコーストをテーマにした作品や、同時代に描いた作品はたくさんありますが、参考にされた作品はありますか?
映画を撮影する前にたくさんの作品をみて、インスピレーションを受けました。しかし、私たちは独自の切り口で物語を語らなければいけないと思いました。特に『戦場のピアニスト』に出てくるいくつかの場面、特に家族間の議論や彼らのジレンマは本作にも通じる部分があると思いますが、本作での語り口はそれよりも現代的かもしれません。私は歴史上の出来事だからといって過去形で語らず、常に現在形で語ることを意識していました。
約80年経った今も、世界では迫害や差別が起こっていますが、このような現状をどう感じていますか?
これについては何度も制作中によぎり、今我々が生きている世界との類似点について考えました。希望や夢、家族や愛する人を持った普通の人たちなのに、すべてを奪われてしまった人たちが今もいます。ホロコーストと直接的に比較できませんが、私たちは人権を侵害する現代の残虐行為に対して敏感である責任があると思います。たとえそれが自分たちや家の近くで行われていようと、それがはるか遠く地球の反対側で行われていようと。
コロナの前後で何か心境、制作に変化はありますか?
もちろんです。私たちはみな新型コロナで疲弊しています。私自身、以前の人が溢れかえったバーや友人たちとのハグ、劇場で隣同士に座る、など恋しいものはたくさんあります。ただ世界を見るとノルウェーよりも酷い状況で苦しんでいる人たちがいます。このパンデミックを乗り越え、私は友人、家族、同僚といった近しい人達だけでなく、世界規模で人と人が大きな意味で近くなれることを願っています。なぜなら今地球や人類はとても繊細で壊れやすくなっており、それを当たり前として受け入れてはいけないからです。私はすべての国々が手を取り合い、助けを必要としている人たちを助けることができればと願っています。とりわけワクチンについては経済強者が支配するのではなく各国に平等に行き渡って欲しいです。